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創作日記


by krauss

ギガントの解体・全

ギガントが撤去されてから、一週間が過ぎた。

近所の公園には朽ちた巨大なロボットが横たわっていて、ぼくたちはそれをギガントと呼んで遊び場にしていた。ぼくたちのお気に入りはギガントの右手で、すべり台のように、頭からサーッと滑り降りるのが好きだった。
ギガントが撤去された直後の公園は、クレーターのように地面がえぐれていたけれど、それからすぐに土がかぶせられ、平らにならされてしまい、今ではもう、そこが最初からふつうのグラウンドだったとしか思えない。

ギガントがどうして公園で朽ち果てていたのか、いったいどんな活躍をしたのか、そして、いったいなぜ今頃になって撤去されることになったのか、そんな話題になると、大人たちは一様に言葉を濁らせた。ギガントのおかげで今のぼくたちがある、ということは何となく知っているけれど、それがどういうものだったのかは、ぼくには分からない。

でも、ぼくしか知らない秘密もある。

あれはギガント解体の前日のことだった。
ぼくは黄昏時に友だちと遊びはぐれてしまい、ちょうど公園の脇の道を、ひとりで歩いていた。ギガントの解体現場には、鋼矢板がぐるりと取り囲んであって、中の様子を見ることはできなかった。その日の作業はもう終わったらしく、現場は静まり返っていた。ぼくはちょっと立ち止まって、どこかギガントを覗ける場所はないかと見渡した。
最後に、目に焼き付けておきたいと思ったのだ。
少し歩くと、作業員用の扉があった。そっと近寄っていって、軽く押してみた。鍵はかかっていなかったが、どうやら内側を針金か何かで固定されているらしい。そのまま力を入れると、扉は軋んだ音を立てて、どうにかぼくが通れるぐらいの隙間が開いた。でもそこからでは、ギガントのほんの一部しか見えない。迷った末に、ぼくはそのまま、すばやく内側に潜り込んだ。ギギギイという軋み音がやけに大きく響いたので、あわてて物陰に隠れた。

ギガントが、目の前に横たわっていた。
沈みゆく夕陽が、白く眠るギガントを染めている。

ぼくはいつの間にか警戒心も忘れ、ふらふらとギガントに歩み寄っていった。
下半身はすでに撤去され、どうやらぼくたちのお気に入りの右手も、切断されたようだった。
その痛々しい姿を見て、ぼくは無性に寂しい気持ちを抱いていた。そして同時に、今まで味わったことのない、勇ましさ、頼もしさとでもいうべきものも感じていた。見たことのないギガントの勇姿が、脳裏に蘇ってくるようだった。
巨大な胸部を見上げ、その脇に転がる、大木のような右腕に触れようとしたその時、ぼくの背後から、突然低い声がした。

「このマシーンが好きか? 小僧…」

ぼくはビクリとして立ち止まった。
ゆっくり振り返ると、そこには、寒くもないのに茶色の皮のコートを着た大男が立っていた。
目深の帽子を被って、つばに左手を当てている。
獣の香り、というようなものを、ぼくは強烈に感じていた。それは単に嗅覚によるのではなくて、男の外見そのものからたちのぼる何かだった。身体がすくんで、動けなかった。
「マシーン、ってギガントのこと…?」
フッと笑って、男はぼくに近づいてくる。
「ギガント? ずいぶん無骨なあだなをつけたもんだな…」
男は、目がおかしくなったのではないかと思うほど、背が高かった。巨大…と言ってもいい。こんな大きな男に、なぜ気がつかなかったのか、分からない。
その背景で、空はオレンジと黒で急速に混ざり合っていく。

ぼくの目の前まで来ると、男は片膝をついて、ぼくの目をじっと見つめた。男は、とても澄んだ瞳をしていた。そして何か、ぼくの頭の中を覗いているかのようだった。
男はしばらくして立ち上がり、それがクセなのか、帽子の縁に手を添わせた。表情が影に隠れ、見えなくなった。
そしていきなり、何も言わず、男はぼくに右手を差し出した。大きいけれど、繊細そうな手。鋭い顔をしていたが、どこか、男の顔には優しさのようなものが浮かんでいた。
ぼくは恐怖で何もできず、何も言うことができなかった。
男はそれでも、手を突き出したまま微動だにしない。仕方なく、その手に自分の手をあわせることにした。

おずおずと差し出したぼくの手を取って、男は助走もつけずに、フワリと跳んだ。
「あっ」
と言った時にはもう、ぼくらはギガントの胸の上に立っていた。こんな高いところに、男は音も立てずに跳び乗ったのだ。

「お前に特別なものを見せてやろう」
男はそう言うと、ぼくに背中を向けて歩き始めた。驚くほどしなやかな動きだった。はじかれたように、ぼくも慌ててその後を追った。恐怖はどこかに飛んでいった。男はギガントの脇腹から、中心に向かって、ぼくが早歩きをしても追いつけないほどのスピードで進んでいく。慣れた足取りだった。やがて胸の真ん中で立ち止まると、男は被っていた帽子を取って、自分の胸に当てた。長めの黒髪が、沈む直前の夕陽に舞った。
それから男は、右手を肩の高さにかざして、指を奇妙に動かし始めた。まるで、空中にサインをするようなしぐさだった。それとも、ギガントに向かってタクトを振る指揮者のようだと言った方がよかっただろうか。
ぼくはその背後から、不思議な動きを見つめていた。

やがて、男の足元に、青い光の点が現れた。
その光は線となって左右に延び、大きく曲がって円となった。直径2メートルぐらいだろうか。その縁から、オーロラのようにゆらめく光の帯がもれた。
ぼくは思わず身を乗り出した。こんな秘密が、ギガントに隠されていたなんて。
ギガントは…、生きていたのか?
男は青い光に照らされて、当然のように微笑を浮かべている。
「間に合った…」
という呟きが、かすかに耳に入ってきた。
「え?」
シュン…
そんな音がして、まぶしいほどの青い光が筒状に放出した。
「うっ!」
円がスライドして開いたのだ。上空に向かってあふれる光は、ぼくたちをあっという間に包み込み、目をくらませた。

まぶしさに目を押さえながら、それでもぼくは見た。中には青く光る球体が収まっていた。その表面は、まるで波打つようにゆっくりと揺らいでいる。
「これは…?!」
「…来てみろ」
ようやく明かりに慣れてくると、青い光の球体の中心には何かが見えた。
男は指を差して言った。
「パイロットさ」

それは、若い女の子だった。

女の子は目をつぶり、波間に揺れる海草のように、青い球体の中で漂っている。
「生きて…いるの?」
「ああ」
男は力強く頷いてから、帽子をぼくの頭に載せ、しゃがみこんだ。そして球体の中に、ズブズブと両手を突っ込んでいった。
ギガントが、どのくらいのあいだ眠っていたのか、ぼくは知らなかったけれども、どう考えても女の子の若々しさは異常だった。

いまやぼくたちも、ギガントの白い機体も、すべてが青く輝いていた。こんな光を見られたら、だれもが驚くことだろう。工事の関係者が、戻ってくるかもしれない。もしもこんなところを見つかったら、ただではすまないに違いない。
男はゆっくりと女の子を引き上げていった。大男でさえ、それは簡単な作業ではなさそうだった。玉のような汗が、男の額で輝いていた。
球体から女の子を引き上げたのと同時に、光は急速に小さくなっていった。あたりは闇に、つまりはすでに訪れていた夜に沈んでいく。それがあまりに急だったので、ぼくは思わず足元をふらつかせてしまった。
「大丈夫か?小僧」
男の右手には、球体から引き上げた女の子が抱えられていた。その左手が、ぼくの腕をしっかりとつかむ。
「うん…」
かろうじてそう答えると、男は満足そうに頷いて、
「そうか。じゃあ、こいつを頼む」
と、女の子をぼくの身体に押し付けた。ゼリーのような青い液体にまみれた彼女が、ぼくの胸にもたれて、そのままへたり込む。男は再びギガントに向かい、先ほどと同じような手の動きを始めた。

美しい女の子だった。十代後半だろうか。栗色の長い髪の毛がたなびいた。うつむいているが、その口元は固く結ばれ、ただならぬ緊張感を発している。異国風の顔立ちだった。
「あ、あの…」
ぼくは顔が熱く火照るのを感じた。
青いゼリーにまみれているけれど、それだけだった。女の子は、一糸まとわぬ姿だったのだ。

男はぼくの呼びかけに返事をせず、黙々と一連の動作を続けていた。ぼくは何とか女の子を目覚めさせようと、ゆすったり、たたいたりした。声は情けないほど出てこなかった。けれど女の子はまったく反応しなかった。ただほんのりとした体温が、ぼくに伝わってくるだけだった。
やがて、さっき聞いたのと同じような、ギガントの胸が閉まるスライド音が聞こえ、覗いてみると、既にそこは昨日までと変わらないギガントの胸部だった。
男は指を鳴らし、「終わったぜ」と笑った。
女の子を軽々と、右手に抱え上げると、男はギガントのわき腹に伝い歩き、あとから来たぼくも片手で持ち上げると、再び助走もせずに飛び跳ねた。フワリとした滞空時間、ぼくはまるで、自分が飛んでいるような気分を味わった。

音もなく着地をすると、男はそっとぼくを離し、ぼくの頭にある帽子をつかんだ。一瞬のうちに、女の子をコートの内側に、目立たないように抱え直していた。

「あなたは、誰なんですか?」
ぼくはムズムズするような好奇心を抑えきれずにそう尋ねた。男は笑っていた。そしてウィンクをした。どうやらそれは、何も聞くなというサインだったらしい。コートから左手を出すと、その手で帽子の縁を撫でた。
「いくぜ、小僧。ぼやぼやしてると、やばいんでな」
男は大またで、鋼矢版に向かって歩き始めた。
獣の香り。そう、ぼくとは違う世界の者の…。
ぼくはただ、男を見送ることしか出来なかった。たった今の出来事が、すでに夢ではないだろうかと、ぼくは心のどこかで疑い始めていた。

「あなたはその子を、…助け出したの? それとも…」

そこで、ピタリ、と男の足が止まった。必死でふりしぼった言葉だった。男はしばらく立ち止まり、それからくるりとぼくを振り返った。
「なあ、小僧。平和に生きる人間は、平和も忘れ、平和でない時代も忘れる。…多分、あいつを解体しようとしている奴らは、俺がこいつを「略奪」した、と、そう言うかもしれねぇな…」

男は、ニカッと笑った。そういう顔をしたように、ぼくには見えた。
「だがやむをえんよ。正義は無数にある。あいつらにもな…。俺は、俺の正義を貫く。小僧、それだけの話さ」

男は多分、そこでぼくの肩越しに、ギガントを見たのだと思う。
その瞳がどういうわけか、星のようにきらきらしているのを、ぼくはプラネタリウムを観るみたいに見つめていた。
「久しぶりに目覚めてみたら、自分の知らない世界だったと…。俺は感じた。多分、こいつも感じるだろう」
「その、女の子…」
「ああ。だがな、俺たちがしたことが、だからといってすべて悪しきことだったとは言えないんだぜ」

それは自分に言い聞かせているみたいだった。男の言う「俺たち」というのが、男とぼくのことを指しているのか、それとも、男と女の子のことを指していたのか、ぼくには分からなかった。
男は再び背中を見せ、歩きながらこう言った。
「小僧。もしかしたらな、お前は再びこいつを見ることになるかもしれん。だが、そうならないように祈っているぜ」
「え…」
「じゃあな」
男は再び跳んだ。
4メートルほどもある鋼矢板を、音もなく跳び越えたのだ。

ぼくは、突然はじかれたように、ハッとして男の後を追った。
けれどもぼくが通用門から通りに出た時、そこには誰一人として、歩いている者はいないのだった。
月だけが、丸く輝いていた。

×××

これが、ぼくだけが知っている秘密だ。

当たり前のことかもしれないけれど、そんなことを知っているからといって、ぼくの生活に何らかの変化があったわけじゃない。むしろ、何の影響も及ぼさなかった。
ぼくたちはもうすぐ、公園で遊ぶような年じゃなくなるだろう。
いつか公園がつぶされて、造成されて、新しい家がたくさん建つ日がくるかもしれない。
そうなった時、ぼくはそこにかつて、朽ちて横たわっていたギガントという巨像のことを思い出すだろうか。

時々は思い出すだろう。けれども自信はない。
もし、思い出したとしても、それは獣の香りの大きな男と、異国風の女の子のイメージだけだという気がする。それでもたいした違いはないはずだと、ぼくは思う。
                         
空を飛ぶ夢を時々見る。
ぼくはいつも、ギガントに抱えられているのだ。

                                    (「ギガントの解体・全」おわり)




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by krauss | 2006-07-22 15:01 | 日記