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創作日記


by krauss

おしおき

山道を歩いていると、突然なだらかな野原に出た。

黒々とした土がどこまでも広がっていて、そこには等間隔に、桃色の実をつけた小さな幹が植えられている。
炎天下の木々の奥に、黒い服を着た1人の男がいた。一心にクワをふるって、土地を耕している。
甘いかすかな香りが漂っていた。

「私は、しがないサラリーマンだったんですけどね」
と男は言った。細身の黒いスーツを着て、黒いシャツに黒いネクタイ、おまけに普通の黒い革靴を履いていた。その顔には何の表情も浮かんでいなかった。暑苦しい格好なのに、汗ひとつかいていなかった。
男のそばまで近づいてみると、これだけたくさんの樹が植えられたのにもかかわらず、広大な農地はまだ、ほとんど手付かずのまま残されているのだった。
「まだまだですよ」
男は、少し、苦しそうな顔を見せ、聞き取れないような小さな声でそう言った。懐から、黒いフリスクを取り出すと、顔を上げて中身を口に注いだ。ドロドロとした黒い粘液が、糸を引きながら垂れた。一瞬何とも言えない腐臭があたりに漂った。その悪臭に言葉を失った。
「ああ、すいません。腐った泥水しか、飲むことを許されていないのです」
男はそう言って苦笑した。

「ぼく昔、死神の手伝いをしていましてね」
再びクワを振り降ろしながら、男は言った。
ザクッザクッ、と、土を耕すリズムは正確で、それは何だか、永遠に音飛びし続ける、レコードのように聞こえた。
「殺してしまった魂の数だけ、こうして樹を植えなければならないんですよ。おしおきって奴ですか。そうしないとぼくは、地獄の業火で永遠に焼かれるっていうか」
「ああ、成程ね」
確かに、気狂いじみていた。

私はふと、傍らの木を見下ろした。こぶし大の美味しそうな果実が、いくつも実っていた。私は、こっそりそのひとつをもいで、何も言わずに男のもとを離れることにした。

これだけの広大な農地に、すき間なく樹を植えるには、あと何年、いや、何十年かかるというのだろう。
私はもと来た道に戻り、男をチラリと振り返った。私に背中を向け、男は土を耕し続けている。

袖で果実をこすり、一口かじった。
甘い果汁が口の中に広がり、甘い香りが漂った。
「美味い」
そう。そしてやっぱり気狂いじみていた。

私はこの山のすべての果実を、ひとりで食べ尽くさねばならないというのに。
それが私に科せられた、「おしおき」だというのに…。

ため息をついて、私は畑をあとにした。

                                                 (おわり)




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by krauss | 2006-08-22 17:33 | 日記