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創作日記


by krauss

魔道物語 エピローグ4d

腰ほどまでの草が密生する丘の中腹を、女はひとり歩いていた。黒い兜と胸冑をまとい、一本の剣で時おりあたりを薙ぎ、緩やかな起伏を登っていく。青い空に、真っ白な雲がゆっくりと流れていき、その光景があまりに穏やかに目に映り、女は時おり、立ち止まって大きく息を吸った。幸福な気持ちが、肺を満たしていく。

女は登りながら、兜を脱ぎ捨てた。黄金色の長髪がこぼれ、太陽に照らされて輝いた。足元にドサと落ちた兜は、一度二度と転がっていき、やがて草むらの中に消えた。髪を風になびかせながら、女はその様子を見つめていた。遠くで鳥がさえずっている。再び歩き出し、次に胸に手を這わせると、甲冑を外しにかかった。
「もう、必要ない」
女はそうひとりごちた。幾度となく彼女の危機を救ってきた甲冑だった。
…だが、この世界には無用の長物に違いない。
胸の甲殻と腹部の胴板を躊躇なく外し、捨てた後を、今度は振り返らなかった。上半身は黒鉄色のかたびらだけとなり、その下の汗ばんだシャツとチュニックが透けて見えた。
女はじっと、握り締めた剣を見つめる。では、これも要らないのか…。
いったいどれほどの血を吸って来たのだろう。薄緑色の刃は、微塵も鋭さを失っていない。
迷いを振り払うように、女はまた、草むらを掃った。鋭角に切り取られた細かい草葉が風に散った。万緑の丘を、女は無言で登り続けていった。

やがて女は一本の細い道へと至り、それは次第に幅広となり、人道となった。草の背は次第に低くなっていき、地肌には岩が現れ、根の張った潅木が、幹をくねらせながら緑の葉を揺らしていた。
女はまた、ふと足を止めた。目の前の景色には、どこか見覚えがあったからである。
足を止めると、聞こえるのは風の音だけだった。

…そう。間違いなく、この道を歩いた。

どんよりとした雲の下、仲間と見上げたあの鉛色の暗い空を、女は思い出していた。誰もが疲れきっていた。誰もが、死を覚悟していた。
彼女は眉間に皺を寄せ、無意識に握る剣には力がこもっていた。だけど、もうすぐに違いない。今や、あの雲は消え、青い空はどこまでも続いている。
太陽の光は、女の肌をちくちくと刺し、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。

そしてくねる道を一心に往くと、やがてその先に、小さな屋根が見えてきた。ざあっと一陣、強風が彼女を襲い、埃が宙に舞った。目を閉じて、仲間との再会にはやる心を押さえ込んだ。
…生きていたら…再び会おう…この場所で…
風は去り、彼女はゆっくりと足を踏み出す。そして小屋の全景が視界に広がり、彼女は、青い目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。

そこに、小屋はなかった。

そこには、風雪にさらされ、大きく傾き、屋根は抜け、梁は腐って散乱した、朽ちた廃屋があるばかりだった。
彼女は取り落としそうになる剣をしっかりと握った。
足元の小石がザッと音を立てた。穏やかな風とは対照的に、鼓動は早くなるばかりだった。
「何…これは…」
朽ちた小屋を見て、女は呆然と呟いた。
あそこで、私たちは、葡萄酒を酌み交わしたのだ。
だが。そう。それは、わずか昨日前の出来事ではなかったのか。
十年?二十年?いや、もっとかもしれない…。ありえないほどの時間のずれが生じている。
「飛ばされたのだ…」
だが、これほどまでに時の相転移が起こるとは。

彼女は確かめるように、廃屋に近づいていった。確かに、ここにちがいなかった。晴れ渡るこの青空の底に、灰色に立ち込める不吉な雲の模様があるのではないかといぶかしんだ。一瞬、捨ててきた兜と甲冑のことを思った。かたびらはジラジラと無遠慮な音を立てた。
小屋の中は影で満ちている。
その時、微かな、気配を感じて、緊張が彼女の全身を駆け抜けた。女は両手で剣を握り締めた。
「誰だ!」
素晴らしい跳躍力で小屋の中に突進すると、女は剣の切っ先を影の中にきらめかせた。
滑らかな曲線が暗闇に残像を残した。
だが、崩れかけた影の中には誰もいなかった。女は慣れない薄闇の中を、油断なく見回した。やはり、誰もいなかった。それを確認すると、彼女は力を抜いて、じっと天井を眺めた。
抜けた屋根の間から、光が漏れている。
それはあの日見上げた夜空に鈍く光る、月の朧を思わせた。彼女は仲間の事を思った。仲間たちと交わした杯を思った。数日前のことだ。彼女の意識の中では。だが、その名残はどこにもない。はるかな過去の出来事でしかないのかもしれない。
小屋の暗闇は、たちまち彼女を冷たい空気で取り囲んだ。

チリン…

どこかで音がした。
小屋の奥には窓枠があって、その向こうに先ほど見かけた草原が見える。
ちょうど、暗闇に浮かぶ額縁のように、黒の中に切り取られた外の景色が、ゆったりと広がっている。目が慣れてくると、草の緑と空の青が、鮮やかに彼女に主張した。
チリン…
風が草原を揺らすたびに、音は聞こえてくる。
彼女は目を細めた。
「まさか…」
冷たいものが、背中を走った。
震えるような足取りで、小屋を抜け、裏手に回った。
草原の中に、何かが見えた。足元もろくに見ずに、女は草むらをかき分けた。
二歩、三歩と近づく度に、女は首を振る。宝物をなくした子どものように。嫌な予感は、一歩ごとに確信に変わった。ついに彼女の剣はその手からこぼれ落ちた。枯れた草が、音もなく受け止めた。

そこには盛り土がしてあり、2本の剣と一本の杖が突き刺さっていた。

見誤るはずもなかった。
「嘘……」
仲間のものだった。
杖の先には金属の輪がついていて、それが風に揺られて音を立てたのだった。
仲間は確かに、ここにやってきたのである。

喜びだったのか、悲しみだったのか、分からない激情に貫かれ、女はその場で膝を落とした。涙は、出なかった。口が大きく開いたが、嗚咽も叫びも発せられることはなかった。
ゴウウゴウウと風は丈のある草を波立たせ、彼女の金色の髪を乱れ流していく。

女はふりむいて廃屋を見た。その背景は、相変わらず、青い空だった。
この平和な世界は、最初からここにあったかのように存在している。
もう一度向き直り、彼女はじっと、仲間の残した痕跡を見つめた。
あの時、それ以上のことを望む者は、一人もいなかったはずだ。
一人一人の顔を、彼女は深々と思った。その声を、その性格を。交わした言葉を。交えた剣を。

ゆらりと立ち上がって、2本の剣と、一本の杖を、女はいとおしそうに撫でた。杖は黒ずみ、2本の剣は腐食が進んで久しかった。いずれもかつては、聖剣と称されたものである。
つうと、一筋だけ、涙が頬を伝った。
彼らは、いつここに来たのだろう。一年前?十年前?それとも…。
次々と、結論の出ない疑問が湧いては消えた。
だが、とにかく、彼女とその仲間は、やり遂げたことにちがいなかった。

時の相移転は、生き延びた者を、ばらばらに、あらゆる時間軸に弾き飛ばした。
もはや、再び会うこともないだろう。
…だが、それだけのことなのだ。

「私は…」
どうすればいいのだろう。
彼女は思った。

長きにわたってその手に馴染んだ緑色の剣が、ぼうっと輝いた気がした。
恐らく、今何かが終わったのだ。
「少なくとも4人は生き延びた。そしてまだ、この世界のどこかに生きているのかもしれない」
晴れやかな顔が、天の頂を見上げた。

朽ちた小屋の裏手に今、3本の剣と、1本の杖が突きたてられている。
1本の剣は緑色の刃を持ち、その真下には、折りたたまれた黒鉄色のかたびらが置かれていた。


「そして、何かがはじまるだろう」
そんな言葉を残し、ひとり女の背中は丘を越え、やがて、見えなくなった。


                                               end _less





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# by krauss | 2006-11-17 17:15 | 魔道

腕の国

いつものように酒を飲んだ後、フラフラと自転車に乗って、朦朧としながら帰路についていて、気がついたら目の前に電柱があって、ぶつかる!と思ったらぶつかった。そして俺は、腕の国にいたのだった。

初めそこは、真っ暗な、森の中のようなところだと思われた。でも木からぶら下がっていたのは無数の腕で、だらんと垂れた手が、風にそよそよとたなびいていた。俺はギャッと叫んで逃げ出した。
「だってしょうがないですよ」
腕人は言った。
「ここは腕の国なんですからね」
そいつの全身はもちろん腕で出来ていたし、そいつの顔も、目も、口も、全部が腕だった。俺は鳥肌がたったが、奴らにしてみれば、俺ほど身の毛のよだつ怪物はいなかったのかもしれない。
「これは、腕クラゲですよ」
と言われて水の張られたガラスケースの中を覗くと、気持ちよさそうに腕が泳いでいる。クラゲっていうか、腕に見えた。
「これでも見て、心が落ち着いたら、ちょっと何か食べに行きましょうね。ここで暮らす以上、食べていかなくちゃならないんですからね」
腕人はそう言って俺の肩を叩いた。もちろん、腕で。
腕マックにつれてもらった俺は、腕ポテトを注文したのだが、出てきたのはこんがり黄金色に揚げられた小さなたくさんの腕だった。
俺は目を剥いた。トレーの上に転がる、いい香りのする腕から目をそらした。ちっちゃな腕の先についているポツポツした根っこみたいなのが指だった。

俺は目を閉じて、いいやこれはポテトだと自分に言い聞かせた。カサカサと触れた腕ポテトは、確かにポテトそのものの感触しかしなかった。
だが、次に目を開けたとき、そこには腕があった。猛烈に吐き気がしたが、よくよく見たらそれは俺の腕だった。

「もううんざりだ!」
と叫んだ。腕人の奴は少し憤慨したように腕を組んで、
「じゃあ指の国に行きますか?」
と言った。少し想像して、俺は何も言えなくなった。
腕バイトが、俺たちの腕テーブルのそばを通りがてら、腕スマイルで俺に言う。
「ごゆっくりどうぞ」
腕スマイルは腕無料らしかった。

それから俺は、腕に腕腕時計をはめ、腕サンダルを履き、腕メガネをかけるような生活に何とか順応しようとした。腕でできた下着をはくのはさすがに抵抗があったし、腕の蛇口を捻ってゴクゴクと腕水を飲むのも我慢ならなかった。
だからついに、俺は気がおかしくなって(腕気狂い)、とっさに腕包丁を取り出すと、自分で自分の腕を切り落としたのだった。
ボトリと俺の腕は落ちた。腕からは腕が噴出した。いや、それはつまり腕血だったのだが、傷口から無数の腕が、真っ赤な腕がほとばしり、あたり一面、俺の腕だらけになってゆくのだった。つまりは俺は、俺の腕に溺れたのであった。もっといえば既に、俺は、どうしようもなく腕なのだった。

***

「大丈夫ですか、先輩」
目の前に、俺を心配そうに覗き込む顔があった。顔には見覚えがあった。俺の会社の後輩だった。そういえば俺はこいつと一緒に、飲み会から自転車に乗ってきたのだった。こいつと俺の家は同じ方面にあるのだった。
「お前、腕…」
「は?」
「あの、腕が…」
「腕がどうかしたんですか」
「…腕が痛い」

俺は思い切り電信柱にぶつかって、受身も取らずに転倒したのだから、腕ぐらい打撲するのは当たり前だったのだけれど、だからと言って腕が俺のことを恨んであんな悪夢を見せたのかどうかは今もって分からない。
「先輩も腕が落ちたっスね。昔はどんなに酔っ払ってもちゃんと帰ってたのに」
後輩が笑った。
冗談じゃない。だが、腕が落ちたのは、本当だった。どちらにしても本当なのだった。
だから俺は、少しも笑うことなく、後輩の肩を借りながら、しばらく酒は飲みたくないな、なんて考えて、夜の空を見上げたのである。

ありがたいことに、そこにはちゃんと、星がまたたいていた。

                                               腕終





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# by krauss | 2006-11-16 23:58 | 日記

人形少女

行き交う街の人々に、いりませんかともの売る少女は、例のマッチに関する童話から飛び出してきたかのようだった。けれども、片腕にぶら下げたカゴに入っていたのは、恐ろしいほど精巧に作られた、幾つもの人形である。
「友だちはいりませんかあ」
少女は通行人に声をかける。
冬の寒空の街灯の下、足を止める者は、誰一人いない。

ついに、その声は小さくなって、やがて、ふうっとため息にかわった。
少女はぐっと腕を組んで、そっとカゴの中に語りかける。
「今日も、ダメだったみたい。ごめんね」
人形たちは一斉に、少女をなぐさめるように首を横に振る。
「ありがと、みんな」
少女は涙ぐんでそう呟く。


ある寒い朝、通勤ラッシュの駅のそば、身も凍る風がゆく街灯の下、一体の人形が落ちている。雨にぬれ、雪に埋まり、薄汚れた人形を、やがてみずぼらしい少年が、そっと拾い上げる。
「かわいそうに」
心優しい少年は、貧しい家で弟妹たちに、人形を紹介する。
「新しい、友だちだぞ」
「わあ」
弟妹たちがどっと沸いた。

「あれ、この人形、カゴを抱えているよ」
弟妹の一人がその中を覗き、驚きの声をあげる。
「うわあ!すごいや!」

人形の顔に、美しい微笑みが浮かんだ。

                                          おわり




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# by krauss | 2006-11-13 20:56 | 日記

竜人

ふわ、と風が竜人を迎えた。
塔の最上階は、がらんとした吹きぬけだった。

秋の満月の光は、竜人を照らしている。
励ましているようでもあり、思いとどまらせているようでもあった。
バルコニーの端まで歩いてみると、手すりは腰ほどもなく、その向こうにはすぐに、秋の夜空が広がっていた。
手すりから身を乗り出すようにして、そろりと下を覗いた。
月に照らされたはるか下方の地面に、何か丸くひしゃげたものが、いくつも転がっていた。
竜人はしばらくの間、そのうちのひとつを見つめていた。

その、干からびた竜の死骸は、かつて美しかった少女の、なれの果てだった。

甲殻に覆われた、茶濁色の死骸から視線を上げて、竜人は月に向かい、「いじわるだな」、と呟いた。
月夜。今宵のような秋の満月は、竜化するのに最適の日だった。
だが、試みた者すべてが成功するわけではない。

目を閉じて、息を長く吐く。
怒りや、悲しみ、疑い、恐怖…。全ての感情を超越したのだろうか、俺は。
竜人は自問した。
脳裏には、今まですれ違ってきた人々の顔が、浮かんでは消えた。大尽風を吹かしていた太っちょ。塔に登ることさえできず、竜化をあきらめて久しい老人。優しかった育ての親。たくさんの仲間たち。そして…。
ふっと、笑みが漏れる。いずれも、過ぎたことだ。
「月が、照らしてくれるだろう」
竜人は呟き、目を開けた。
最後に浮かんだ少女の微笑み。その残像が、月と重なった。

いつの間にか、竜人は口笛を吹いていた。
自分の一族の秘密を聞いた日は、いつだっただろう。
古の竜の歌は、静かに、秋の夜空に吸い込まれていく。

飛ぼう。今夜、俺は竜になるのだ。

ぐっ、と手すりを握り締めた時だった。
「本当に、翔けるの? あなた」
突然、背中から声が聞こえた。
聞こえたような気がした。だが竜人が口笛をやめると、そこには何の音も聞こえなかった。
風がふわ、と再び竜人の髪を撫でる。

竜人は振り向きたい衝動に駆られた。
そこに、彼女が立っているような気がした。
だが、竜人は振り向けなかった。じりじりと、身体は前に倒れていく。まるで何者かが、竜人を押し出しているかのようだった。
振り向いたら、失敗する。
地上に転がったいくつもの死骸が、竜人の目に飛び込んできた。
そして彼女の姿。畸形の稚竜。
そう。彼女は死んだんだ。

美しい少女の心の中に、竜人がいたのだということを、竜人は後になってから聞いた。
竜人への想いが断ち切れず、その心を制することができなかった。だから彼女は、畸形竜になったのだ…。一族のそうした噂に、竜人は耳を覆ってきた。
今日の…今まで…。

月を見上げると、そこにまだ、彼女の笑顔が残っているような気がした。
ふっと、全身の力が抜けた。靴がジャリッと砂を噛んだ。
「飛ぶさ」
そして、竜人は振り向いた。

そこには、誰も、いなかった。

竜人は、天に向かって飛び跳ねた。そして背中から、弧を描くように落下した。

ヒュンヒュンヒュンヒュン…
口笛が聞こえる。
ゴウウウという風圧。
竜人は目を閉じた。このまま、彼女の隣で眠るのも、悪くはない。
この口笛が死を呼ぶのを待った。大地に至る衝撃を待った。ただ、待った。
そして、ゴウッという鈍い痛みが、襲った…。

***

まぶしさに目を開けると、竜人の目の前に、月が煌々と照っていた。
竜人は雲の上にいた。
死んだんだ…。と竜人は確信した。
それはほとんど本能であったが、それから竜人は再び、両腕を羽ばたかせた。先ほどのゴウッという音。鈍い痛みが、背中の筋肉に走り、隆起した肉体が、翼を収縮させ、一気に拡げた。
竜人は今や、遥か藍色の空を飛んでいた。星が、間近に瞳を刺した。月はさらに近づいていた。
優しい黄金の光が、竜人の全身を照らす。

ちがう。
死んだのではない。

信じられない思いで、竜人は真新しい身体を眺めながら、喜びを噛み締めていた。
竜化!飛ぶことが、こんなにも容易だとは!

「飛べたのね」

違う風が、竜人を撫でた。
いつのまにか、竜人の横に、美しい流線型の、銀色の竜が併んでいた。
「君は…」
思い出と幻の中で聞いた声が、銀竜から発せられた。そう、確かに聞いたことのある声。
「飛べたのね」
「そんなはずは…ないよ。だって、君は…」
竜人の驚きをよそに、銀竜は、竜人を導くように、一気に下降気流に乗って降下した。

かつて人間の姿だった時、あの世界で最も高い場所にあった塔が、今では竜人の遥か真下に見えた。それは今の竜人にとっては、一本のマッチ棒に過ぎなかった。翼を伸ばし、そして銀竜を追いかけると、空気は竜人に道を譲り、素晴らしい飛翔力は、あっという間に竜人を地上付近に運ぶのだった。
「見て」
銀竜が促した。
竜の死骸が、いくつも並んで転がっていた。
その中に、真新しい、どこか、見覚えのある竜の亡骸があることに、竜人は気がついた。
「あれは…俺の…」

「人間の目で見えるものが間違いで、竜の目で見るものがすべて正しい…わけじゃない。けれども、あなたが今、新しい世界を見ることができるようになったのは、いいこと…でしょ?」
銀竜は微笑みかけた。
「ああ、そうだね」
「飛びましょう? 一緒に」

銀竜はそう告げると、一気に翼をひらめかせた。その跳躍力は素晴らしく、竜人が見上げると、銀竜は既に、月の光の中に消えようとしていた。

「飛ぶさ」
そして満月の夜、二体の麗しき生き物は、大地に微かな風を残し、輝く光の中に消えていくのだった。

その姿を見たものは誰もいなかった。
少なくとも、地上からは。

                                                  おわり



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# by krauss | 2006-10-22 15:09 | 日記

夏の往く道

その日はいつもよりも早く目が覚めました。
窓の外から、ずおおおおん、という、低く重い音が聞こえたせいです。

夢かな。と思いました。
目を開けて、いつもと変わらぬ天井を見上げ、しばらくあたりを伺っていましたが、部屋はしーんとしています。
夢だ。と決めてもう一度目を閉じたところ、再び、ずおおおん、という音が響いたのです。
寝ぼけまなこで、窓をソロソロと開けました。外はまだ暗く、勢いをつけてガラガラとやる時間じゃないことぐらいは、分かっていたからです。

雲ひとつない巨大な藍色の空でした。東の地平線は明るく白ばんでいるものの、まだ太陽は昇っていません。でも、全身を震わせるような、あの音の衝撃は、まだ鼓膜の奥で響いています。
私は、空をくまなく眺めました。
そして、気がついたのです。
遥か西の彼方に、スペクトルというのでしょうか。いくつもの、キラキラとした光の線が、現れては消え、消えては現れ、不思議な輪郭を作っていることに。例えるならそれは、ガラスで出来たいくつもの飛行機雲。まだ出ぬ太陽光に乱反射して、奇妙に輝き回転しているダイヤモンドの軌道…そんなふうに見えたのです。
1本…2本…ひとつ…ふたつ…
私は光の点と線を、頭の中で結び付けていきました。藍色の空をキャンバスにして、うっすらとした、光の輪郭をたどっていきます。

ずおおおおん…

巨人でした。

どうやら、それは、あまりにも巨大な、山よりも雲よりも高い、透き通った巨人の後ろ姿だったのです。
キラ、キラと輝きながら、巨人は、止まっているかのような、ゆっくりとゆっくりとした歩みで、大地を踏みしめ、西の方角に去っていくのです。

ずおおおん…。

音は、空を揺らすように響きます。
「そうか。足音…」
私は思わず呟きました。
巨人が大地を踏みしめる度に、ズオオオン、ずおおおんと、あの腹を振動させるような重低音が、私の耳に届いていたのです。
巨人の輪郭に沿って、星のように点滅する七色の光を、私はうっとりと、ただ一人のものとして眺めていました。

わたしのほかに、窓を開けたり、西の方角を見つめる人はいませんでした。
道ばたの鴉たちや、チュンチュンと鳴く電線の雀たちも、少しも気がついていないのです。
多分、眠っていた私の夢の波長と、巨人の歩み去る何かが、偶然にも一致した…。そんなところなのかもしれません。
巨人は一歩進むごとに、町1つ分ぐらいずつ進むようでした。もうだいぶ彼方に行ってしまったので、響いてくるあの音は、少しずつ、小さくなってきたのです。
キラ。
私はふと、巨人がこちらを振り向いたような気がしました。
笑っている。そう、思いました。
そして巨人の足が、もう一度大地に踏み降ろされた瞬間。
視界の端から、太陽が昇ってきたのです。

巨人の姿は、シャボン玉がはじけて消えるように、空にすうっと溶けていってしまったのでした。

しばらく空に残っていた足音は、いつの間にか私の意識の中に引っ込んでしまい、気がつけば、少し冷たい風が、そっと私の頬を撫であげるばかりなのでした。


×××

その日の朝のニュースで、お天気お姉さんが言いました。
今日は寒露です。寒露。いよいよ秋も本格化します。と。
「ああ、そうか」
出勤するために玄関を出た私は、思わずそう口にしたのです。

…あれは、あの巨人は、「夏」だったんだ。

「夏」の巨人は、名残を惜しむかのように、そして次の季節に追い立てられるように、ゆっくりと、ゆっくりと、町々の上を渡り歩き、とうとう自分の生まれた彼方の場所に、消え去っていったのです。
きっと、お別れのあいさつがしたかったのかもしれない。

どこまでも晴れ渡った大きな高い空を見上げ、私はふと、そのようなことを思ったのでした。


                                                 夏終



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# by krauss | 2006-10-17 13:11 | 日記